おそらく10年前には失笑をともなって迎えられたであろうその問いが、今は深刻な迷いをもって思考され議論されている。
悲劇の象徴となる場に、その根源と、祈りを象徴するものを。
個人的な賛否は・・・やめておこうか。
私は、話し合いで解決できない問題は絶対にあると思っているし、いさかいも争いもなくならないと思っている。
理解できない相手がいることは、むしろ、自然だ。
けれど、だからこそ受容することと、話をすることをあきらめてはいけないとも思っている。
「長い時間をかけて対話していけば、きっと大丈夫です。道をへだてて罵りあうのではなくてね」
さまざまな宗教の人が集まってイスラム教のことを知るという催しを主催した人の言葉。
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